ローカルぬるま湯問題

数年前から地方は盛り上がっている。デザイナーやフォトグラファー、編集者などクリエイティブな人材が地域に移り住み、磨いてきた手腕で地域の魅力を掘り下げて発信する流れで盛り上がりが生まれてきた。

その流れに乗り、若者たちもまた地方に可能性を求めて(もしくは地方の人たちが若い可能性を求めて)集まりだしている。とてもすばらしいと思う。

けれど、気を付けなくてはいけないのは、若者たちの才能はまだ磨かれていない原石だということだ。

才能豊かな若者たちはその能力ゆえにそこそこ仕事はこなせる。おもしろいアイデアも持っている。周りの人たちは喜ぶ。しかし、それはあくまで原石ゆえの価値の範疇だ。若さと勢い頼みの成果にいつまでも甘んじていると奥行きや繊細さのある仕事を学ぶ機会は失われていく。宝石は磨かれてこそ光る。

地方は人材が少ないがゆえに競争が行われない。だから生きやすい部分もあるけれど、都心部のような切磋琢磨がないのでぬるま湯に浸っているようなことにもなりかねない。磨かれないから本来の成長曲線よりも能力が伸び悩みがちになる。

というような相談を受けたので考えてみた。

そうなるのはなんとなくわかるけれど、結論を言えば、結局一人ひとりの仕事の取り組み方次第だろう。たとえ都心部だろうと気の抜けた仕事をこなして過ごしている人たちはたくさんいる。逆に地方でも貪欲に自分のスキルを磨いていく人たちだっている。

雑誌やメディアなどの優れた編集者は、売上や数字をあげるための当てに行く企画だけでなく、雑誌の個性や特徴、メッセージを打ち出した攻めの企画も出す。と教えてもらったことがある。

それは結局売れるもの、売れたものだけやっているとほかも真似しだし、お客さんが飽きてしまうからだ。表現で生きていく人間は常に新しい領域への挑戦が求められる。

デザインや写真・ライティングなどの仕事への取り組みもそういう意識を養うことが大切なんだろうと思う。スピードが求められる。外さないことが求められる。その隙間で今までの自分がしてこなかった新しい表現のトレーニングをどれだけ積むことができるかだ。

どこにいたってぬるま湯から抜け出すためには自分の意思で踏み出さなくちゃね。

ローカルぬるま湯問題