ハタフェス中止の一連の流れについて思う

10月12日・13日に開催するはずだったハタオリマチフェスティバルは開催をしませんでした。台風の上陸が予想され、それでも一度は通過後の13日・14日に日付をずらしての開催を決断したものの、読めない速度と規模の大きさを考慮し改めて中止の決断をしたのでした。

「やればできるよ!」と「やってる場合なのか?」、両方の想いがある決断でした。なにせ、考える対象が未来です。結果を予測することは誰にもできません。最終的には行政の方々の意見もあって、中止に踏み切りました。

この判断について後悔はないです。相手は自然だから仕方がないと割り切るほかありません。ただ、いろいろ仕込んでいた新しいことがどこまで盛り上がるのか、当日の運営がどこまでうまく回るのかは見てみたかったものです。

代わりに、街の人や出店者の方、関わってくれている人たちのこのイベントに対する想いを目の当たりにすることができました。13日・14日でやります、と伝えたときの好意的な受け止められ方。その後中止の連絡をしたときの温かな労い。決して利便性のいい土地柄でもなく、市場が大きいわけでもない。それでも少なくない人がこの土地ならではのイベントに興味を持ち、期待してくれているのが伝わってきて、企画者の一人としてはそれがとても誇らしく思えました。

「今回お手伝いしてよかったことは、いまされているお仕事、まわりの方々との関係にふれて、いい仕事ってこれだよな、と思い出せたことです。」

「ハタフェスに出たいと思ってから、ツテも繋がりもなくご紹介いただいてハタフェスに出展が決まった時は夢のようでした。また開催が決まったとして、本開催だけでなく、ハタフェスの夏祭りのようなスピンオフ企画などでもハタフェスに関することなら関わって行きたいので、ぜひお声がけください」

こんな言葉をかけてもらえる仕事ができているのはとてもありがたいことです。今回のことで果たせなかったことは多かったけれど、ぼくにとってのハタフェスの特別さはまた一層深くなり、次の機会への糧となりそうです。

ハタフェス中止の一連の流れについて思う