「うつくしいものは、いつの世でも お金やヒマとは関係がない みがかれた感覚と、まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる」
暮しの手帖の創刊編集長・花森安治さんのこの言葉はふとした瞬間によく浮かんできます。そして、今回浮かんだときに、槇田商店のみなさんと展示をつくった時間が重なって、言葉がより深く血肉になった気がしました。
槇田商店は山梨の人口5,000人の小さな町にある、社員総勢20名ほどの会社です。地域の会社としては立派で大きな部類の会社に位置づけられていると思います。けれど、オモテに立って接する人は限られています。それよりは織機や検反、傘製造などそれぞれの持場で日々の仕事をコツコツとこなす職人が多くいらっしゃいます。打ち合わせに行っても基本的にお話する人は数人です。
地域での展示の話を持っていったとき、せっかくだから普段はオモテに立たない人にもお客さんと触れる機会を作りたいという話がありました。いつも決まった人しか出ていかないので、そうではなく、目の前のお客さんの喜ぶ姿を、自分たちがつくったものがどう見られているのかを、社員の方々にも感じてほしいということでした。何度か朝礼にお邪魔して、社員みなさんの前でこういうことをやりましょう、とお話させていただいたり、若手で集まって、展示のための企画を一緒に考えたり、去年10月から何度も足を運ばせてもらい、少しずつ社員さんと顔なじみになってきました。
槇田商店の傘はうつくしい。手に取れば多くの人がそう感じてもらえると思います。そのうつくしさはどこから来ているのでしょうか。プリントではなく、織物の生地を使っているから? 正直そのくらいに思ってしまっていた自分を恥ずかしく思います。うつくしさの理由はそれを作っている人たちのひとりひとりが、みがかれた感覚と、しっかりした眼と、絶えず努力する手を持っているからでした。
一流のブランド、デザイナー、作り手と一緒にものづくりをしている企画の人たちは、のどかな風景の中に身を置いているとは思えないくらい洗練された感覚を持っているし、細かいキズ、不良品を選り分ける眼は社員みんなが持っているんじゃないかと思います。そして、これは設営のときに明らかになったのですが、普段から手を動かしてものを作っている人たちの仕事のうつくしさです。釘を打つとか、整列して並べるとか、壁にまっすぐ棒を渡すとか、そういった仕事が完璧でした。
どれも一朝一夕で身につくようなものではないように思えました。まいにちの暮しの中でみがかれたものがこれらの仕事のうつくしさを作っています。そのうつくしさとそれを生み出す手や眼、感覚をぼくは深く尊敬します。と同時に、あこがれもしています。技術は違えど、絶え間ない努力を重ねて自分もそういうものを身につけられたらと。